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ごあいさつ

阿修羅の正義

こんにちは。

豊田シティ法律事務所の弁護士米田聖志です。

今回は、阿修羅の正義という話をしたいと思います。

自分も人間なので、腹を立てることもありますが、そのときはこの話を思い出すようにしています。

そもそも、阿修羅は、帝釈天に歯向かった悪鬼神と一般的に認識されているようですが、事実は少し違います。

阿修羅は正義を司る神といわれ、帝釈天は力を司る神といわれています。

阿修羅には舎脂という娘がおり、阿修羅はいずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていました。

ところが、その帝釈天が舎脂を力ずくで奪ったことに怒った阿修羅は、その後帝釈天に執拗に戦いを挑むことになります。

帝釈天は配下の四天王などや三十三天の軍勢も遣わせ応戦しました(戦いは常に帝釈天側が優勢でした)。

ある時、阿修羅の軍が優勢となり、帝釈天が後退していたところへ蟻の行列にさしかかり、蟻を踏み殺してしまわないようにという帝釈天の慈悲心から軍を止めました。

それを見た阿修羅は驚いて、帝釈天に計略があるかもしれないと疑念を抱き撤退しました。

この話が天部で広まり、阿修羅は正義ではあるが、正義であってもそれに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となることから、仏教では天界を追われ人間界と餓鬼界の間に修羅界が加えられたともいわれます。

宗教家のひろさちやさんは、この「阿修羅の正義」について下記のように記しています。


仏教では阿修羅(あしゅら)といった存在を考えている。

この阿修羅は、ほんらいは正義の神であった。

だが、彼はみずからの正義にこだわったがゆえに、ついに神々の世界から追放され、魔類とされてしまった。

正義の神を魔類にするところに、仏教のものの考え方の特色がある。

つまり仏教は、

「正義にこだわってはならない!」

と、われわれに教えているのである。

わたしたちは、ときに他人と対立し、争うことがある。

どう考えても相手に非があり、相手が悪い。

そういうときがある。

でも、だからといって、独り寝床の中で相手をなじり、相手をあげつらってみても、自分のこころは落ち着かない。

自分の正義を主張すればするほど、ますますイライラし、眠れなくなる。

じつは、それが「阿修羅の正義」である。

阿修羅は正義の神であるから、その主張は正しい。

けれども、仏教においては、阿修羅は魔類である。

したがって、あなたが「阿修羅の正義」を主張し、怒りを燃やしつづけるとき、あなたは魔類になっているのだ。

魔類にこころの平安がないのは当然である。

あなたは一刻も早く阿修羅であることをやめ、人間に戻らねばならない。

それにはどうすればよいか…。

あなたは正義にこだわることをやめて、相手にほんの少しだけいたわりの気持ちを持つことだ。

怒りそのものはそのままにしておいて(怒りを消し去ることは、所詮不可能である)、相手をかわいそうに…と思って、なにか一言、相手にやさしいことばをかけてあげる。

そのやさしさが人間であり、そのやさしいことばがあなたを阿修羅から人間に戻してくれるのだ。

仏教はそのように教えている。

 

(ひろさちや氏の心に響く言葉より)


 

法律相談で話を聞いていると、この「阿修羅の正義」の話をしたくなるときがあります(相談を聞くことが第一なので、大抵は話す時間はないのですが)。

例えば、職場でパワハラを受けていたと相談にきても、相手にどう仕返しをするか等を繰り返し主張される方もいます。

その気持ちもわかりますが、自分がどうしたいか、今後どういう方向に進みたいか(転職なのか、損害賠償なのか等)を検討することも大事だと思っています(楽しいことを考えることも大事ですし、それは大抵未来のことだと思います)。

正義に固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる、魔類にこころの平安がないのは当然、このことは誰もが心にとめておきたいことですよね。

 

 

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