東京ドーム
こんにちは。
豊田シティ法律事務所の弁護士米田聖志です。
ロシアによるウクライナ侵攻が始まって2ヵ月が経過しました。
現在、ウクライナ東部マリウポリでは、ロシアが占領を宣言しましたが、ウクライナ側部隊が最後の砦(とりで)とするアゾフスタリ製鉄所で抵抗を続けているとされます。
この製鉄所では、地下にトンネルなどを備えた「要塞」のような構造となっており、ウクライナ側はこの構造を駆使したゲリラ戦術で戦いを続ける可能性があるようですが、露軍は強力な爆弾の投下などで攻勢を強めています。
同製鉄所は欧州最大級の製鉄所の一つでソ連時代に建設されました。地上の巨大な構造物に加え、地下にはいくつものシェルターやトンネルがつながっており、もともとは設備のメンテナンスや機器を運ぶために建設されたとのことです。敷地面積は東京ドーム235個分もの広さであり、なかなかの広さです。
製鉄所ではウクライナ軍とマリウポリを拠点とする「アゾフ大隊」の部隊が身を潜めて露軍に抵抗しているだけでなく、民間人が少なくとも1000人が避難しているとのことで、その様子が動画で流れたこともありました(小さい子などもいるようで、人道的な観点から大変心配しています)。
さて、この東京ドーム235個分という表現の仕方ですが、いつの間に「東京ドーム」が規模の目安になったのでしょうか。
日本初の屋根付き球場である東京ドームが完成したのは、1988年3月のことで、規模の目安として初めて使われたのは、オープンから1ヵ月後の1983年4月のことだったようです。
国税庁が、お酒の年間消費量を発表する際、「東京ドームを容器に6.4杯」と表現したのが始まりとのこと。
それ以前は、大きな容量の目安となっていたのは、霞が関ビルだったようで、高さ147mの36階建てで、1968年に感染した日本発の超高層ビルが、「霞が関ビルをジョッキに見立てると、8杯分」というように使われていたのが、東京ドームに変わったというのが事実の模様。
(霞が関ビルの前は、対象末に完成した東京駅前の丸の内ビルヂング(旧丸ビル)がその役割を担っていたようですね)
そして、東京ドームがオープンしたとき、全国的に注目度が高かったことや「ビックエッグ」と呼ばれる形が容器に近いことなどから、霞が関ビルに代わる容積などの目安として、役所やマスコミで使われるようになりました。
(本当かどうかわからないですが、関西ローカル番組などでは、目安として「甲子園球場」が使われることが多いとか)
それにしても、東京ドーム235個分とは、ものすごい広さですね。
食料や水の補給などできているのか、など民間人の安否が気になります。
- 2022-04-25
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- by 豊田シティ法律事務所