産業スパイについて3
こんにちは。
豊田シティ法律事務所の弁護士米田聖志です。
今回は、2007年3月に起こった《デンソー産業スパイ事件》について、書きます。
この事件は、中国国籍の元社員Aによる「社内技術情報の持ち出し事件」で、《産業スパイ》に対して日本の企業かいかに無防備で、日本の法律がいかに無力かを示した事件のひとつです。
一言でいうと、戦後からこの頃(2007年というと、つい最近ですね)まで、産業レベルでいかにわが国が「スパイ天国」だったかを示す事件です。
外国人がわが国で<産業スパイ行為>をしても、企業の表沙汰になったり、捕まったりすることが殆どなかったからです。日本で具体的な《産業スパイ事件》が表面化し始めたのは、やっと2007年頃からなのです。
愛知県警の調べによると、A容疑者は同社所有のノートパソコン(以下、PC)に社内のデータベースから「電子設計図」約13万件のデータをダウンロード。2007年2月5日、会社に無断で社有のノートPCを持ち帰ったといいます。
Aは、自宅で私物PCに接続し、データをコピーしたとされます。Aは、逮捕後、捜査員に対し「PCは持ち帰ったが、複製はしていない」などと話したそうです。
ダウンロードされたのは、産業用ロボットや各種のセンサー、ディーゼル燃料の噴射装置など約1,700種類の「電子設計図」で、そのうち約280種類は同社の「最高機密」にあたるものだったとの由。
Aが会社でダウンロードしたデータは、2006年6~8月は各1件、9月は25件、10月に約1万件、11月から急増して11万9,436件、12月に約4,438件にのぼり、異動前の3ヵ月間で計13万4,686件ものデータを駆け込みでダウンロードしていたのです。
何故この期間に集中したのかといえば、元々、A容疑者は重要データにアクセスできるIDとパスワードを持っていたのですが、2007年1月にはアクセス権のない部署に異動することが決まっていたからです。
A容疑者とはどんな人物だったかでしょうか?
愛知県警によると、Aは、1986年に中国の大学を卒業後、ミサイルやロケットを開発・製造する中国国営の旧「中国航天工業総公司」に就職。1990年に来日し、日本の工学系大学を卒業後、民間企業に入社。
2001年12月にデンソーに転職、2007年1月から材料技術部係長職として潤滑や金属摩耗の解析に携わっていたそうです。また、Aは社外活動として会社に無断で、2005年10月設立の、日本の自動車関連企業に所属する中国籍のエンジニアや留学生らが作った団体「在日華人汽車工程師協会」(以下、Z会と称す)の副会長も務めていました。
Z会は、会員の中国企業への好待遇での就職や起業などを目的とし、中国の自動車関連企業から資金援助を受けており、会員に対して同会の活動が勤務先に知られないよう指示していました。
Z会の総会が東京の中国大使館で開かれていたり、中国の企業・地方政府・関係学会などの訪日団があると、都内のホテルや中国大使館で懇親会を開いたりしていたことなどから、同会には《産業スバイ》を巡って中国という“国家の影”が垣間見えると言えるでしょう。
A容疑者の逮捕を受けてデンソーは、「事態を深刻に受け止め、取引先など関係者に迷惑をかけたことを深くお詫びする。情報管理を見直し、厳重な管理を行うように徹底していきたい」とコメントしています。
しかし、このような経歴をもつ中国籍の人物を簡単に入社させただけでなく、社内の<秘密情報>にアクセスできる職務に就かせていたことは、まことに「ずさんな情報管理体制」だったと非難されても仕方がありません。
さらに、A容疑者を逮捕するに至った経緯も実にお粗末でした。2007年1月、デンソーでは設計図面の社内データベースシステムでエラーが多発。
原因を分析したところ、2006年11月から12月までの間に、大量の設計図データを、Aが同システムからダウンロードしていたことが分かりました。
調査を担当した同社社員が、2007年2月14日、Aから事情を聞いたところ、データを入れた社有PCを無断で社外に持ち出していたことが判明。
そこで社員が刈谷市内のAの住むマンションに行き、社有PCと私有PCの提出を求めたところ、Aは「ちょっと待って」と言って、社員を部屋の外で1時間近く待たせた後、社員に社有PCと私用PCを提出。
提出された私有PCを社員が会社に持ち帰って調べたところ、内蔵ハードディスク(以下、HDD)は千枚通しのような物で切り刻まれ、データは破壊されていたと言います。
Aが社員を外で待たせていた間にHDDをPC本体から取り出し、破壊したうえで元に戻したと思われます。デンソーの社内調査で、Aの社有PCには、外付携帯型HDDなどに接続した記録があることが判明したため、同社は愛知県警に相談しました。
いかにも悪質な産業スパイですね。
愛知県警がどう動いたのか、については次回また書きます。
- 2017-11-29
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- by 豊田シティ法律事務所