麒麟がくる
こんにちは。
豊田シティ法律事務所の弁護士米田聖志です。
昨夜の大河ドラマは、まだ「麒麟がくる」ではなくて、「国盗り物語」でした。
先週は、大好きな独眼竜政宗で、けっこう興奮しましたが、今回も国盗り物語ということで非常に興味深い回でした。
一通り見ましたが、今世間でイメージされている「信長」の元となったのが、この国盗り物語なんだなと思いました。
(信長の絶対王政的な強い感じを髙橋英樹氏がうまく演じられていました)
本能寺の変も「怨恨説」で描かれていましたね(今までは怨恨説が通説的な扱いだったと思います)。
あれから研究も進み、現在本能寺の変の有力な説として「四国説」がけっこう有力な説とされているようです。
(「所ジャパン」というテレビ番組で磯田先生が話していました)
四国説というのは、長宗我部元親と関係の深い光秀が、信長の四国征伐を回避するために信長を討ったというもの。
1575年以降、長宗我部元親と信長は友好関係にあり、「元親記」によると、元親は信長から「四国は切り取り次第(=自力で土地を奪い取る)、所領として良い」という内容の朱印状までもらったとされていました。
1580年頃には光秀が元親と信長の交渉窓口であったとされていましたが、翌1581年に状況は一変します。
三好氏を巡る処遇の変化によって、「切り取り次第」という方針は撤回され、元親に阿波の占領地半分を返還するよう迫ったわけです。
元親はこれを不服としたようです(朱印状の件が史実ならば当然だと思います)。
これをきっかけとして、信長は四国征伐を考えるようになったとされ、このことが光秀を謀反に駆り立てたという説です。
確かに、このころちょうど丹羽長秀と織田信孝が大阪で四国征伐の軍勢を集めていましたし、四国征伐にいく前に謀反を起こしたというのもありえそうです(四国説を裏付ける元親の手紙などが最近出てきているみたいですし、光秀と元親の妻が遠い親戚だったということが信ぴょう性を増しているように思います)。
国盗り物語もよかったですが、「麒麟がくる」の方が光秀オンリーに焦点を当てているので、より見ごたえがあります。
早く再開して欲しいですね。
- 2020-06-23